MOB

モブとして生きる

僕は特別な人間ではないけれど、僕の人生では僕が主人公だと思っている。そして、皆そういう風に考えているものだと思っていたのだけれど、もしかしたらそうでない人もいるのかもしれない。MOBについて考える中でそんなことを思った。

 

 客観性というものはおそらくある程度成長してから獲得できるものだろう。客観性を獲得する以前の段階にある子供は主観性のみによって物事をみている。自分が世界の中心にある状態である。

 

客観性と物事を見ることができるようになったとしても、その途端に自分が世界の中心から引き剥がされるとは限らない。生活の中で必要に応じて客観性を発動させればよく、それ以外は主観で生きておればよい。だいたい皆そうやって生きてるものだと思っていた。

 

世の中が主人公とそれ以外のモブでできているとして、自分をモブの側に置いた状態で生きている人もいるかもしれない。そんなことが果たしてあり得るのかとも思ってしまう。随分と奇妙な人間に違いない。そういう人がいたとさしたら、その人ってどんな理由とか動機によって動いているのだろう。

「動いている」という表現がそもそも間違いなのかもしれない、「動かされている」がしっくりと来る表現かしら。

 

自分をモブだと思って生きるとは「動かされている」ということを自覚しながら「動かされる」ということなのだろうか。え、そんなことありえるの。

動かされまいと抵抗することすら予想されたうえで動かされているとしたらお手上げである。

なるほど、モブとして生きるとは一種の諦めの気持ちかもしれない。