MOB

モブとして生きる

僕は特別な人間ではないけれど、僕の人生では僕が主人公だと思っている。そして、皆そういう風に考えているものだと思っていたのだけれど、もしかしたらそうでない人もいるのかもしれない。MOBについて考える中でそんなことを思った。

 

 客観性というものはおそらくある程度成長してから獲得できるものだろう。客観性を獲得する以前の段階にある子供は主観性のみによって物事をみている。自分が世界の中心にある状態である。

 

客観性と物事を見ることができるようになったとしても、その途端に自分が世界の中心から引き剥がされるとは限らない。生活の中で必要に応じて客観性を発動させればよく、それ以外は主観で生きておればよい。だいたい皆そうやって生きてるものだと思っていた。

 

世の中が主人公とそれ以外のモブでできているとして、自分をモブの側に置いた状態で生きている人もいるかもしれない。そんなことが果たしてあり得るのかとも思ってしまう。随分と奇妙な人間に違いない。そういう人がいたとさしたら、その人ってどんな理由とか動機によって動いているのだろう。

「動いている」という表現がそもそも間違いなのかもしれない、「動かされている」がしっくりと来る表現かしら。

 

自分をモブだと思って生きるとは「動かされている」ということを自覚しながら「動かされる」ということなのだろうか。え、そんなことありえるの。

動かされまいと抵抗することすら予想されたうえで動かされているとしたらお手上げである。

なるほど、モブとして生きるとは一種の諦めの気持ちかもしれない。

MOB

「モブキャラ」という言葉がある。

 少し前までは漫画やアニメが好きなどちらかといえばオタクよりの人たちが使っていた言葉で、ウィキペディアの説明を引用すると

 

モブキャラクターとは、漫画、アニメ、映画、コンピュータゲームなどに登場する、個々の名前が明かされない群衆のこと。

 

いわゆるザコキャラや通行人など、物語にほとんど影響を与えないキャラクターのことを指す言葉だと言える。

最近ではかなり一般的な言葉になっているように思われる。大学の友達でこの言葉を知らない人はおそらくいない。しかし両親に聞いて見たところ知らないようだったのでまだ「若者の言葉」という感じだろうか。

 

貶し言葉として使われることもある。「うるせぇ、モブ(キャラ)が」といった具合だ。もっとも日常でこんな使い方をする人はいない、漫画などの中で、一種のメタ的なギャグとして見られる。

 

あるとき気になった。モブキャラのモブって何?

モブ、モブ……何語だよ。どういう意味?

気になったので調べて見ると、この言葉がたまらなく好きになった。

ウィキペディアから引用する。

 

「モブ」の語源は英語の“mob”であり、可算名詞での本来の意味は破壊的行動をしかねない無秩序な群衆である

 

破壊的行動をしかねない無秩序な群衆!

つまりモブとは群衆を指す言葉なのである。何より素晴らしいのは、破壊的行動を「しかねない」の「しかねない」という部分だ。たまらなく魅力的ではないか。

 

場合によっては「地味」とか「情けない」とみなされるモブたちは実は危険を孕んだ群衆なのである。重要ではないとみなされているその群衆は実は世界を変える力をもっているのだ。

なんと気味の悪い言葉だろう。「しかねない」とか「危険を孕んでいる」といったことは「絶対にする」とか「間違いなく危険だ」ということよりずっとタチが悪いように感じる。

 

またMOBという字面もいい。mobでもいい。英語で書くとなんと害のなさそうな言葉だろう。映画のスクリーンに「MOB」と写したらきっとカッコいい。

 

「MOB」をテーマにすることはできないだろうか。この言葉について調べてからちらちらと考えてはいるが、なかなかうまくまとまりそうにない。